今思うこと
ここ数日時間があっという間に過ぎ去っていきます。ピチュンが旅立ったあの日からもう3日も経ったなんて信じられません…
ただ、ブログで詳細に逐一起きたことを書くことでその時の記憶が蘇り、まるでピチュンが近くにいてくれているような、不思議な感覚があります。
同時にピチュンの症状を改めて時系列で見ていくことで悲しみと同時に後悔と自責の念が沸き起こり、キーボードを叩く手がなかなか進みません。
鮮明に覚えているうちに、起きたこと、感じたことを取りこぼさないよう急いで書いていきたいのですが。そんな感じで、今は27日深夜です。
今回も長いです。
悲しい話だし感情的な部分も多いのご注意ください。
そして…忘れられない2021年8月24日
その時
その日の朝は、むしろ前向きな気持ちでM病院へ向かいました。
大丈夫。ピチュンは昨夜は強制給仕を飲み込む力があった。
その分カロリーも栄養も取れているはず。
なによりあの評判の高いM病院で出来うる限りの治療をしてもらっているのだ。4年前のエンセファリトゾーンの時助けてもらったように、今回もきっと…
…と思っていたのです。
ピチュンに昨日からずっと心の中で語りかけていた言葉。
ピチュンの大好きな桃を買って持っていくからね。
おとといの夜は少ししかあげれなくてごめんね。
ママと一緒にお腹いっぱい食べよう。だから待っててね…
そして予約時間となった9時15分、診察室のドアが開いた。
ピチュンは昨日と同じキャリーに入ったまま、静脈点滴を受けていた。
が、ひどくグッタリしていた。
耳はかろうじて動いているが頭を持ち上げることはできていない。
パパやママからの呼びかけにも反応が鈍かった。
「今朝は強制給仕もできない状態で…飲み込む力が弱まっています」
眉間に皺を寄せながら深刻な顔で告げる医師。一気に緊張が走る。
「数値も回復できておらず、うんちやおしっこも出ていません。
午後にはまた別の処置をしますが…食べることができていないですし厳しい状況です…」
厳しい、とは。
何を意味することなのか。
「別部屋をとっておきましたので、12時ごろまで一緒にいてあげてください」
混み合う院内で、別部屋に3時間もピチュンと一緒にいられる…その意味。
「息が荒くなったり、痙攣などがありましたらそちらのボタンで呼んでくださいね。」
嫌な予感をひしひしと感じてしまう。
そんな予感を強引に振り払い、
「ピチュン。ピチュンの大好きな桃を持ってきたよ。一緒に食べよう」
病院側でカットしてくれた桃を手に取りピチュンの口元へ持っていく。
正直舐めてくれるだけでも良いと思っていた。
最後の食事が病院で与えられた強制給仕では可哀想だと、思ってしまった。
が…ピチュンの反応がない。
というか、
「とても無理…」
弱々しい目で訴えるピチュン…
昨日の夜から何も食べていない状況。水分は点滴で補えているにしても、
ただでさえ危ないのにこのまま衰弱していったらピチュンは…
本当にこのまま逝ってしまうかもしれない。
そんな考えで頭がいっぱいになり、涙が止まらず、嗚咽が漏れてくる。
ピチュンの前で、悲しい顔したらダメだ。
一生懸命痛みや苦しみと戦っているピチュンを不安にさせてしまう。
「大丈夫だよ。ママが側にいるから」
とか
「愛してるよ」
とか言いながら
できるだけ笑顔で、ピチュンとこれからも送るであろう楽しいイメージを送ろうとするが…
笑顔が歪む。堪えきれない悲しみ。
ピチュンを失いたくない。
まだママのそばにいて欲しい。
4年前だって乗り越えたじゃないか。
でも今回ばかりは…ダメなのかもしれない。
それならせめて、また午後ピチュンがひとりになってしまってからではなく…
今、パパとママがいる間に逝ってほしい。
せめてお見送りをさせてほしい。
もし。
ピチュンが一晩中パパやママのことを痛みに耐えながら待っていてくれたなら…
お疲れ様。待っててくれてありがとう。
もういつでもピチュンが決めていいんだよ。
という気持ちと。
でもママはピチュンとまだまだ一緒にいたい。
ピチュンが大好き。
もっと一緒に生きていきたい。
まだ逝かないで。
ママの側にいて…!
そんな気持ちが交錯する。
ピチュンの頭やお尻を撫で続け、キスをし続け、
これまで楽しかったたくさんの思い出と感謝の気持ちと
大丈夫だよ、今回も乗り越えようね、というエールを送り続けて。
でもこんなに苦しんでいるピチュンを見たことは無かった。
エールを送れなくなってきた。
どうしてこれ以上頑張れるだろう。
やがて、
「大丈夫だよ」「愛してるよ」という言葉しか言えなくなっていた。
その間もピチュンは首をあっちに向けたりこっちに向けたり、必死に痛みと戦っている。
一度ママの手のひらに顎を乗せたことがあった。
ピチュン…
⏫この時、ピチュンがどれだけ弱っていたかを実感した。
すでに自分の頭を支えることができず、フラーっと頭が下に沈んでしまう重力の動きを手に感じた。沈んでしまう頭を持ち上げる力さえ残っていないのだ。
私の手に顎を乗せて支えてもらおうとしていたのだった。
頭が沈んでしまえば鼻にタオルが覆われてしまう。悪くなっている心臓と肺を圧迫される苦しみが増し、鼻からも呼吸が困難になるため何とかして力を振り絞って頭を上げ位置を変えて少しでも楽なポジションを探しているようだった。
腎不全の痛み、吐き気を伴いながら。
それがどれだけ苦しいことか…
こんなに可愛い子が、こんなに小さな体で想像を絶するような痛みと戦っている。
可能なら、今持てうる限りの私のエネルギーみたいなものとか抵抗力とか免疫力とかを全てピチュンにあげてしまいたい。
それでピチュンが助かるのなら是非そうしたかった。
でも同時に。
今触れているピチュンのこのあたたかな感触を、生涯覚えておこう。
とも感じていた。
さまざまな感情を感じつつも、ただただ今そこにいるピチュンに愛を注いだ。
大事な大事な可愛いピチュン。
本当に大好きだよ
ありがとう
そんな言葉を繰り返していたように思う。
12時半が過ぎた頃だったろうか。
ピチュンの呼吸が荒くなってきている…
これまでははぁはぁ、という感じがお腹全体がドコンドコンと太鼓のように振れ、その振動で頭がガクンガクンとなっていく。
痛みで細めていた目が見開き眼球突出の症状が出た。
自分の身に何が起きているのかわからずパニックになっているのだろうか。
苦しみのあまりだろうか。
心臓が弱り血圧が上がりきってしまったのか。
おそらく全てだろう…
そんなピチュンを見てふっと
ピチュン。大好き。愛してるよ。
もし逝かなければいけないのなら、今逝っていいよ。
ママは最後までピチュンと一緒だからね。
と呟いていた。
この状態になった数分後。
いや1分もなかったかもしれません。
「キュ…キュ…キュ…キュ…」
と、今まで聞いたことのないピチュンの、しゃっくりのような声らしきものが。
「ピチュン…?」
そこから間もなく。
ピチュンの動きが止まった。
「ピチュン?」
「ピチュン…」
「ピチュン、ピチュン!!!」
いつもヒクヒク動いていたお鼻が動いていない。
ピチュンの頭を撫でていた私の手が慌てて様子を見ようと動かした時ピチュンの突出した眼球に触れてしまった。
だがピチュンの眼球はピクリとも動かない。
急いで医師を呼んだ。
走ってきた医師がピチュンを手術室に連れていき緊急心臓マッサージに入った。
数分後私たちも呼び出された。
「心臓が…自力では動かせていない状況です。強制的に動かしてはいますが回復する可能性は極めて低いかと…マッサージを続けてもピチュンちゃんの体にダメージを与えてしまうかと思います」
と説明する担当医師。
ダメージを与えてしまうというのは…言葉を濁してくれたが…つまり、そういうことだった。
口をチューブでこじ開けられ心臓を看護師に強くマッサージされてピチュンの小さな体が揺れている。
目はさっき見開いたままの状態でピクリとも動かない…
「もう、止めてくれ」
夫Jujuが嗚咽を漏らしながら静止した。
「これ以上ピチュンを苦しめることはしたくない」
医師がマッサージを止めると、心電図の動きも止まった。
全てが終わった。
午後1時過ぎ。
本当にピチュンは逝ってしまったのだ。
享年10歳。
ちょうど10年前の8月、ピチュンはスペインで生まれ2ヶ月後に東京で私たちと出会ったのだ。
私たちは泣き崩れた。
かけがえの無い守るべきベビーを失った。
助けられなかった、恐れていたことが起きてしまった。
「それでは…ピチュンちゃんを綺麗にしてお返ししますね」
別室に通されてしばらく二人で抱き合って泣いた。
でもその時、
ピチュンにたくさんキスして体を撫でて愛してると伝えられた。
最後の瞬間まで、ピチュンを看取ることができた。
ピチュンの全てを見届けた。
終わった…そんな感情も同時に感じていた。
「お待たせしました」
別室のドアが空き、見開いていた目を閉じられて花を添えられたピチュンが戻ってきた。
黄色いお花が白いピチュンの毛とよくあっていて、本当に可愛いかった。
ピチュンは最初から最後まで本当に可愛いかった。
気が強くて甘えん坊で、でもとても健気でガマン強く、最後は必死に苦しみと戦う強さがあった。
安らかなお顔になったね。もう痛くないね。
良かったね。
本当に…もう動かないんだね…
一気に悲しみが込み上げてきて、腫れ上がってしまってる目から再び涙が溢れてくる。
まだ信じられない。もうピチュンがいないなんて。
いや、でもまだここにピチュンはいる。
目は開けることはできないけど、相変わらず可愛いいし毛も柔らかい。
「お持ちになった保冷剤は再度冷やしてお腹と頭から背中に当てております。
ピチュンちゃんにダメージを与えないよう、保冷剤に気をつけてあげてください…」
担当医師はそう言って、ペット葬儀のパンフレットを渡して
「この度はお力になれず申し訳ございませんでした」
と、深々とお辞儀をした。
ひしひしと感じさせられるピチュンの死。
「おうちに帰ろう、ピチュン。一緒に帰ろうね」
駒込から川越まで1時間。電車に乗って大勢の人にピチュンを晒したくなかった。
もう片時でもピチュンと一緒にいて、
ピチュンに触れて、ピチュンから目を離したくなかった。
タクシーで川越まで帰ったことが、ピチュンの通院で最後の出費となった。
そして、帰宅
「おうちに着いたよピチュン」
そう言ってピチュンのキャリーケージを持って家に入るのもこれが最後なのだと思うとたまらない気持ちになった。
ピチュンが入院した日のままになっている部屋の様子。
ご飯入れも
お水入れも
牧草を入れるバスケットも
ピチュンの足のためについ数週間前に買い足したマットも
ピチュンのお気に入りのうさぎのぬいぐるみも…
みんな、主人が帰ってくるのを待ちわびていたように見えた。
部屋を見渡すとピチュンのためにレイアウトしたものがたくさんあることに改めて気づく。
ピチュンが本を囓るから本棚に覆っていたフェンスも
カーペットを覆っていたおしっこシーツも
ピチュンの足のために廊下を覆っていたコルクボードも
全てはほんの、昨日朝までピチュンがいた時そのままだった。
これらみんな、片付ける日が来るのだろうか。
ピチュンを失う恐怖…いつかくるものだと思っていたけど、いざくると喪失感、寂しさが半端ない。
そして別の恐怖が頭をもたげてきた。
このままピチュンのいない日常が当たり前になってしまったら…
ピチュンにお薬やアニマストラスを上げるために使用したシリンジや専用グラス。
いつかまた使ってくれるためにとっておいたトイレボックス。
フリーケージだったピチュンがセカンドハウスとして使っていたケージ。
まだ何袋もあるピチュンの好きだったペレット。
ピチュンの免疫をあげるために購入したサプリメントやグルーミングセット。
ブラシやカーペットに残っていたピチュンの毛玉。
ピチュンのお気に入りだったブランケットやクッションやマットやぬいぐるみ。
今はピチュンの最後となったおしっこが染みているおしっこシーツですら洗うのが躊躇われる。
おしっこの匂いを嗅いでまた嗚咽した。
全てが愛おしくてたまらない。ピチュンの全てを失いたくない。
ピチュンの暮らしていた跡が段々となくなっていくのかと思うととてつもなく寂しい。
でも、まだ今は隣にピチュンがいる。
ピチュンの感触、柔らかな毛、匂い。
写真や映像で姿・かたちは残せてもこれらの感覚は時間とともに薄れていくものだ。
まるで砂でできた城が風化していくように。
どうしてそれらを記録できる媒体が無いのだろうかと、本気で思う。
ピチュンをキャリーケースに入れたまま、
私のデスクがあるベッドルームのデスクとベッドとの間に安置した。
いつもピチュンが過ごしていた場所。
ベッドの下がピチュンのプライベートの場所。
ご飯も、お水もすぐ鼻の先にある場所。
ママのデスクからも近くて、仕事をするママをいつも後ろから見つめていたピチュン。
⏫6月頃、デスクから撮った写真。写真を撮るママを見てるピチュン💕
この頃はまだ全然元気だと思っていたのに…
ピチュンは後ろにいたかと思いきや、忍者のように突然足元に来たりしていたから、
チェアを動かすときは常にピチュンが周りにいないか気を使っていた。
大きな音はなるべく出さないようにしていた。
掃除機だっていつも一番ピチュンから遠い部屋からかけて驚かさないようにしていた。
そういった心配りはもう必要なくなるのか。
ピチュンだけでなくピチュン用にカスタマイズされた自分の行動や生活スタイルがこの日を境に無くなったのだ。
胸がぽっかり空いたような表現とはよく聞くが、私には胸がぎゅうと重く締め付けられるようだった。
今、ピチュンのためにできる最後のケアは、保冷剤を数時間ごとに交換すること、
エアコンを最低温度ガンガンにかけること。
そして昨日までそうしていたように、部屋を出る時は
「ピチュンちょっと待っててね」
そして部屋に帰ってくるたび、
「はい ピチュン お待たせ」
と、話しかけることだけになった。
川越のA病院に報告をした
その日はもう何もしたくなくて、胸が痛くて、生きていく活力すら見いだせなくて、死への恐怖すら薄れた。
ピチュンに会えるならむしろ悪くないとさえ思った。
ピチュンの横にいて、ピチュンの匂いを嗅いでずっとキスをしていたかった。
でもふと、
「A病院にピチュンのことを報告しなくては…」
これまで長年お世話になった川越のA病院にお礼を兼ねて電話をした。
院長は普段はとてもお忙しい方だったのでその件だけスタッフの人に伝えたらすぐに院長先生が診療の合間に一回、時間外に再び折り返し電話をくれました。
「ピチュンちゃんのこと、聞きました。突然でしたね…」
そこで今回の血液検査で出た腎臓の血中尿素量(BUN)の数値を話した。
「BUNが94.5も…?それは完全に慢性的な腎不全では…。シニアうさぎの血液検査は毎月レベルでやった方がいいと僕は思います」
ただ、これはA病院の見解であってM病院では毎月の血液検査の必要ではないという。
ただ…昨日のブログで書いたM病院の致命的なミスは、2021年2月におこなったと思っていた血液検査が日付の見間違いで2020年2月に行われていたきりだったのだ。
2020年2月から1年半も血液検査が行われていないというのであれば、「一度血液検査をしましょう」という流れになったのかもしれないのに。いや、絶対にそうだ。毎月の血液検査は必要ないと考えるM病院ですら、半年に1回ペースでは行っていると言っていたのだから。
M病院がピチュンの症状で気になったのは眼球突出や息切れ。これらは心臓や肺近辺に由来するものが多いという考えだった。確かに心臓や肺が悪くなった結果腎臓に影響を与えることは多い。
M病院はまた、いろんな要因があって、急激にご飯を食べなくなって1日2日で腎臓の数値が跳ね上がる急性腎不全の場合もあるという見解だった。
確かにピチュンの食欲についてはいつも聞かれていた。それが腎不全の症状として主に挙げられる症状だからだ。
私としては牧草は今年に入ってから食べる量が減り、それに続く形で不正咬合になった。初夏の頃にはペレットを食べる量が減った。
でもおやつとかは食べてくれるしアニマストラスも飲んでくれる、と話をしていた。そのレベルでは食欲低下と判断されなかったのだろうか…
ただ、M病院でもせめて8月23日、ピチュンが限界を訴えた日ではなく2日前にも来院してくれてたのだからその際に血液検査をやっておけば処置は早くできていた。もしかしたらピチュンを救えたかもしれない。そこは本当に申し訳ない…と言ってくれました。
M病院を責めるわけではないです。ピチュンのことで揉めたくはないしピチュンはそんなことをしても帰ってこない。
昨日のブログにも書いた通り、人間であれば通常考える最初の検査が血液検査。それに考えが及ばなかった私が悪い。ピチュンに必要以上に辛い思いをさせてしまった申し訳なさ。救えなかった後悔。それだけが本当に無念です。
そしてA病院の院長先生は続けて、
「ただ4年前、こちらでピチュンちゃんがエンセファリトゾーンを発症して、ローリング症状まで起こしてた時はもうダメかなって、正直思ったんですよ」
「それからタクシーで駒込のM病院まで行って、ほぼ後遺症もなく回復させてその後4年も健康を維持できたのはママさんたちの献身的な介護と愛の賜物でしょうね。僕ではそこまでできませんでした。」
ここでまた一気に泣いた。単に院長先生が慰めの言葉をかけてくれるのだとわかっていたけど、そういってもらえたことが、ありがたかった。
ピチュンのためにその時できるベストな事もできていたんだと、感じられたからだ。
ただ、奇跡的な回復は私はピチュンが持っていた独自の免疫力と、アニマストラスのおかげだと思っている。
もしかしたらこの5ヶ月、アニマストラスがなければピチュンの容体はもっと早くに悪くなっていたのかとさえ感じているのだ。
「多くのうさぎさんたちはエンセファリトゾーンを発症してローリングまでしてしまうと、なかなかその後回復しなかったり…そのまま亡くなられるケースもあるんですよ。」
「ただ、エンセファリトゾーンというのは一度やってしまうとその寄生虫は死滅するということはなく、体内で眠らせるということが現状では精一杯です。それらの寄生虫がうさぎさんの加齢など体力が落ちた頃に活動を再開し脳や腎臓に悪影響を及ぼすことがあるんです」
その後、院長先生は少し間を置いてから、
「ピチュンちゃんの最後に立ち会えた、というのは良かったですね。耳は最後まで残るんです。ちゃんとママやパパの声は聞こえていましたよ。」
「これは医師として個人的に感じることなんですが…不思議な力、というのを感じぜざるを得ない時はありますよ。」
「ピチュンちゃん、まだその辺フワフワしてますよ。思っていれば、近くにいてくれます。」
「献身的な介護をした後は、少しゆっくりして、気持ちが落ち着いたらまた次に行けばいいのではないでしょうか…ピチュンちゃんのご冥福をお祈りいたします。」
今までありがとうございました、と言って電話を切った。
良い病院だったし、良い人に出会えた。
ピチュンを通じて出会った人の一人だった。
ピチュンを送る準備
A病院に電話をしたことで、少しだけ救われた気持ちになった。
改めて今は安らかに眠っているピチュンを見つめる。
できる事ならピチュンの姿をこのままずっと留めておきたいけど、それは無理な話だ。
・ピチュンの体が変化するのを見たくない。
・あの柔らかで温かだったピチュンの体の記憶を今の冷たくなってしまった記憶で書き換えたくはない
そういう考えが人一倍強い夫は明日にでももう荼毘に伏したいという。
可愛い私のベイビーを荼毘に伏す。
燃やすのだ。
それがどういうことか。
これまで大切に守ってきたピチュンに火をつけるのだ。
このふわふわの感触も柔らかな肌もこの匂いも完全に無くなってしまう。
二度と触れることができなくなる。
そしてそれ以降は二度とピチュンの映像を増やすことはできないということだ。
二度目の別れ。
せめてあと1日、ピチュンと一緒にいて気持ちの整理をつけたいと言った。
明日25日はピチュンの棺に添える花と、祭壇に飾る写真を選ばなくては。
なにせ10年分の写真の中から選ぶのだ。
忙しい日になる。
それでも、なるべくピチュンには触れて、話かけようと思う。
ピチュンと過ごす最後の1日になるのだから。
「おやすみ、ピチュン。」
いつもそうしているように声を掛ける。
いつもは人間がベッドに入り始めると自らもベッドの下に潜るピチュン。
ゴソゴソベッド下でブランケットやクッションを移動させているであろうピチュンの音を聞きながら、眠りについた日々。
今日はベッドの横のキャリーバッグに入ったまま。
その状況がまだ信じられないでいた。
本当にその辺りをふわふわしているのなら、今夜夢で会いたい…!
そう思いながら、眠りについた。
続きます。次回で一応まとめようと思います。